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December 28, 2005

情報・記号・物・生命

幾分か前の情報と差異の続きと発展。

RSS巡回コースに入っている橋本大也さんの情報考学から生命記号論—宇宙の意味と表象の回を引用。

「記号圏とは、大気圏、水圏、生物圏と同様に地球上のある領域を指す。記号圏は他のどの圏内にも入り込み、その隅々まで広がっており、音、匂い、身振り、色、形、電界、熱放射、全ての波動、化学信号、接触その他のありとあらゆる種類のコミュニケーションを統合して出来上がった一大圏である。一言で言えば、生命に関する記号全てのことである。」
(中略)
生物はそれぞれの環世界に生きている。必要な情報を選択的に感覚器官から受けとっている。これが志向性であり、インフォメーションの基盤である。そしてインフォメーションの量と質を決めるのは、記号論的自由の大きさにあるというのがユニークな意見である。ここでいう自由とは、個体や種が周囲と相互に伝達できる「意味の深さ」を指している。

引用文前半中の「記号圏」に対するおれの解釈は「刻印された状態になった情報」。これは、物と情報を結んでいて、つまりは情報が載って(乗って)いるメディア(媒体)すべてを指していると考えている。

引用文後半内では「生物」が「記号」を志向的に操作する旨について書かれているが、おれは「生命」自体もある特定の「情報」パターンを持った「物」じゃないか、と考える。遺伝子の例を挙げるまでもなく。

つまり、この文章のタイトルは環になっていて(あぁ、文章って不便)情報・記号・物・生命・情報・記号・物・・・というふうにつながってる。記号は情報を物に噛ませた複合物で、生命は物に情報を掛け合わせて生まれてきたもの。だけど、記号と生命はきっと違うんだよ、だから一緒くたにはしてないよ、という程度の情報を持った環だと思ってくらはい。

そうすっと、大きく分けて世界は、「物」と「情報」のふたつだけで成り立つと言えなくもない。時間軸をそれぞれに組み合わせたとき、どっちが強いのかみたいなことにちょっち興味あるね。

あぁ、そんで、「意識」について言えば、物の中のパターンアリの物(=生命)の中の、さらにパターンアリの情報が意識かと思うのね(今度ベン図書いてアップします)。そんで、そのベン図によれば生命は物寄りで、記号は情報寄りなのよ、記述しやすい文脈がね。

んで。この理論で破綻を来す、というか、考えなければならないのが「解釈主体無き情報の意義」のテーマ。解釈主体がないと情報は存在しないというなら、それはネットワーク理論の方に行くね。リンクとノード。おれはどちらかといえば解釈主体無くても情報ある派かなぁ。その方が宇宙論にアプローチしやすくておもろいのよねw

モノの情報を一生懸命明らかにしてきたのが今までの科学とか知の歴史なんだろうね。
モノに情報を一生懸命埋め込んだりできたら今までの科学とか知に対して何と呼ばれるんだろうねw

おまけの仮説を一つ。
ハード(もの)としての人(生命)の最大の価値は愛というソフト(情報)を刻印(=記述)できること。主体としても、メディアとしても、かな。

投稿者 AZZIE : 01:46 AM | コメント (0)